後継者不在の障害福祉法人が事業承継を成功させた2年の記録
——「閉所しかない」と思っていた理事長が、2年かけてたどり着いた答え
問題発生——「自分の代で終わりにするしかない」
「子どもは継ぐ気がない。職員の中に引き継げる人間もいない。自分が引退したら閉所するしかないと、ずっと思っていました」——神奈川県内で生活介護事業所とグループホームを運営するH法人の理事長・I氏(68歳)の言葉です。
I理事長は25年前に法人を設立し、利用者30名・職員12名の規模まで育ててきました。しかし5年前から「自分の後をどうするか」という問いが頭を離れなくなっていました。子どもは他業種に就いており福祉への関心はなく、職員の中にも経営を担える人材は見当たりませんでした。
「利用者さんのことを考えると、閉めるなんて言い出せない。でも自分が倒れたら、どうなるのか。毎年、答えが出ないまま一年が過ぎていきました」とI理事長。
H法人の概要(承継検討開始時点)
- サービス種別:生活介護(定員20名)・グループホーム(2棟・定員10名)
- 職員数:常勤8名・非常勤4名
- 設立:25年前。I理事長が単独で設立・運営
- 財務状況:単年度黒字・内部留保あり(経営は安定)
- 理事構成:理事長1名・理事2名(名目上のみ)
- 後継者:子ども(他業種・継承意思なし)・職員(経営経験なし)
→ 経営は安定しているが、承継の仕組みが何もない状態でした。
【I理事長の言葉(初回面談より)】
「25年間育ててきた利用者さんたちを、どこかの大きな法人に引き渡すのは嫌だった。でも自分の後を任せられる人間がいない。正直、お手上げだと思っていました」
原因分析——「後継者不在」の本当の意味
I理事長との対話を重ねる中で、「後継者不在」の問題を3つの層に分けて整理しました。
層①:経営を担う人材がいない
職員の中に「施設長として支援現場を仕切れる人材」はいました。しかし「理事長として法人全体の経営・財務・行政対応・法的責任を担える人材」はいませんでした。これは別の問題です。「支援ができること」と「経営ができること」は異なるスキルセットです。職員の中に後継者が「いない」のではなく、経営スキルを「育てていなかった」という側面がありました。
層②:法人のガバナンス構造が「属人的」だった
H法人の意思決定はすべてI理事長に集中していました。理事会は形式的な存在で、実質的な経営判断・財務管理・人事はI理事長一人が担っていました。この構造のままでは、誰が後継者になっても「引き継げるもの」がありません。「承継できる法人の形」に整えることが、後継者探しより先に必要な課題でした。
層③:「承継の選択肢」を知らなかった
I理事長が知っていた選択肢は「親族承継」か「閉所」の2つだけでした。しかし障害福祉法人の事業承継には、内部からの人材登用・他法人への事業譲渡・合併・社会福祉法人への移行など、複数の選択肢があります。「選択肢を知らなかったから、答えが出なかっただけでした」とI理事長は後に語っています。
まず「選択肢の地図」を描く
コンサルとI理事長でまず取り組んだのは、H法人が取り得る承継の選択肢を整理することでした。
| 承継方法 | 概要 | H法人への適合性 |
|---|---|---|
| 親族承継 | 子・親族が後継者となる | 子どもに継承意思なし→困難 |
| 内部登用(職員承継) | 現職員を後継者として育成・登用 | 有力候補1名あり→要育成 |
| 他法人への事業譲渡 | サービスを継続したまま運営主体を別法人に移す | 利用者・職員の継続性を条件に検討可 |
| 合併 | 規模の大きい法人と合併し、法人格を統合 | 相手法人の選定が課題 |
| 社会福祉法人への移行 | 一般社団法人から社会福祉法人に法人格変更 | 規模・要件の確認が必要 |
整理した結果、H法人に最も適した方向性として「内部登用(職員承継)」と「他法人への事業譲渡」の2案を並行して検討することになりました。
2年間の記録——何をどの順番で進めたか
| 時期 | フェーズ | 主な内容 |
|---|---|---|
| 1〜3か月目 | 現状把握 | 法人の財務・資産・契約・許認可の棚卸し。承継に必要な書類・情報の整理 |
| 3〜6か月目 | ガバナンス整備 | 理事会の実質化。定款・規程類の見直し。財務の見える化(月次管理の導入) |
| 6〜9か月目 | 内部候補の育成 | 主任J氏を後継者候補として特定。管理者業務の段階的委任開始 |
| 9〜12か月目 | 並行した情報収集 | 地域の同規模法人・社会福祉法人との非公式な情報交換。事業譲渡の可能性を探索 |
| 12〜18か月目 | 後継者候補の成長確認 | J主任が管理者業務の8割を担えるレベルに成長。理事就任の打診 |
| 18〜21か月目 | 承継計画の策定 | 承継スケジュール・役割移行計画・利用者家族への説明方針を文書化 |
| 21〜24か月目 | 正式移行 | J氏を新理事長として登記。I理事長は顧問として2年間サポート体制に移行 |
特に重要だった3つの取り組み
取り組み①:「承継できる法人の形」に整える
後継者を探す前に、まず法人自体を「引き継げる状態」にすることが最初の課題でした。
- 定款・理事会規程の見直し(形式的な理事会を実質的な意思決定機関に)
- 財務の見える化(月次試算表の定期確認・資金繰り表の作成)
- 重要契約・許認可の一覧化(誰が見てもわかる形での整備)
- 業務マニュアルの作成(I理事長の頭の中にある知識の文書化)
「これをやって初めて、自分がどれだけ属人的な経営をしていたかがわかった。逆に言えば、整えてしまえば誰でも引き継げる形になった」とI理事長。
取り組み②:後継者候補を「育てる」
内部候補として特定したJ主任(当時42歳・勤続12年)に、段階的に経営業務を委任しました。最初は「行政への報告書作成」「職員面談の実施」から始め、1年かけて「予算管理」「法人運営全般」へと権限を移していきました。
【J氏(現理事長)の言葉(承継後)】
「最初に声をかけてもらったとき、正直怖かったです。自分に理事長が務まるとは思えなかった。でもI理事長が『一緒にやろう』と言ってくれて、2年間かけて少しずつ覚えました。今でも迷うことはありますが、I理事長に相談できる環境があるから踏み出せています」
重要だったのは「即座に任せる」のではなく「2年間かけて並走する」というスタンスでした。I理事長が「答えを教える」のではなく「一緒に考える」関係を続けたことが、J氏の成長を支えました。
取り組み③:利用者・家族・職員への丁寧な説明
承継計画が固まった段階で、利用者家族・職員への説明を丁寧に行いました。「施設が閉まるわけではない」「支援が変わるわけではない」「I理事長は顧問として残る」——この3点を繰り返し伝えることで、不安を最小化しました。
「家族への説明会で、何人かの方が『I理事長が残ってくれるなら安心です』と言ってくれた。その言葉で、自分がやってきた25年間は無駄じゃなかったと思えました」とI理事長。
承継完了後の状況——2年後
| 指標 | 承継前 | 承継完了2年後 |
|---|---|---|
| 法人の意思決定 | I理事長一人 | 理事会(3名)で合議。J理事長が中心 |
| 財務管理 | 年1回税理士確認のみ | 月次試算表を理事会で確認 |
| 職員の離職 | 承継前後で不安から2名退職 | その後2年間で離職ゼロ |
| 利用者の状況 | 承継前後で2名の家族が転所を検討 | 引き留め成功・現在も継続利用 |
| I理事長の関与 | フルタイム経営 | 週2日の顧問業務(相談対応・外部折衝) |
| J理事長の評価 | 「まだ不安」 | 「自信がついてきた」(本人談) |
※ 上記はコンサル支援先の事例をもとにした参考値です。法人規模・地域・職員構成により異なり、同様の成果を保証するものではありません。
【I理事長の承継完了後の言葉】
「閉所しかないと思っていた法人が、続いています。自分が育てた職員が理事長になって、自分が関わってきた利用者さんたちの支援を続けてくれている。こんなに幸せな引退の形があるとは、2年前には想像もしていませんでした」
障害福祉法人の事業承継——知っておくべき制度的ポイント
障害福祉法人(一般社団法人・社会福祉法人・NPO法人等)の事業承継は、一般の中小企業とは異なる制度的特徴があります。
【法人格による違い】
- 一般社団法人:定款変更・理事変更登記で対応可能。比較的柔軟
- 社会福祉法人:所轄庁(都道府県等)への届出・認可が必要。手続きが複雑
- NPO法人:総会での役員選任が必要。構成員(社員)の理解が重要
【指定(許認可)の扱い】
- 法人格が変わる場合は、障害福祉サービスの指定を新法人名義で取り直す必要がある
- 指定の空白期間が生じないよう、行政との事前協議が不可欠
【利用者への影響】
- 承継に伴う「サービス種別の変更」「事業所の廃止・新設」は利用者の受給者証に影響する場合がある
- 相談支援専門員への事前連絡が重要
事業承継は法的・行政的手続きが複雑なため、専門家(行政書士・弁護士等)との連携をおすすめします。Engoodは経営面の整備・後継者育成・関係者調整を担い、必要に応じて士業と連携しながら進めます。
まとめ——承継は「終わり」ではなく「次の始まり」
H法人の事例が示すのは、後継者が「いない」のではなく、後継者が育つ「環境と時間」が用意されていなかっただけかもしれない、ということです。
事業承継は早く始めるほど選択肢が増えます。「まだ先のこと」と思っているうちに、選択肢が「閉所のみ」に絞られてしまうことが最も避けるべき事態です。理事長・施設長が65歳を超えたら、少なくとも「選択肢の地図」だけでも描いておくことをおすすめします。描いてみると、意外な答えが見えてくることがあります。
経営の安定・立て直しそのものについては 資金繰りが底をつきかけた施設が立て直した6か月 も、当社の支援内容は サービス内容 もあわせてご覧ください。
「後継者がいない」「どこから手をつければいいかわからない」という方は、お気軽にお問い合わせください。事業承継・後継者育成・法人ガバナンス整備のご相談を、初回無料で承っております。