ヒヤリハットを書いて終わりにしていませんか?|事故情報をICTで「予防データ」に変え、安全性と利用者受入能力を同時に高めた障害福祉事業所
※本記事は架空のモデル事例です。ICT導入時には個人情報保護、アクセス権限、情報セキュリティ等への配慮が必要です。また、事故報告・行政報告等については自治体・指定権者等のルールに従う必要があります。
はじめに――ヒヤリハットは毎月20枚出ていた
定員20名の生活介護事業所。安全管理には力を入れていました。職員へ、「小さなことでもヒヤリハットを書いてください」と伝えています。毎月15から20件の報告が上がります。管理者は、「うちは報告文化ができています」と評価していました。
ところが半年間で、似たような転倒が3回発生しました。いずれも午後。いずれも廊下付近。いずれも活動終了後です。管理者は過去のヒヤリハットを調べました。紙ファイルをめくっていくと、「午後、廊下でふらつき」「活動後、立ち上がり時によろけ」「帰宅準備中、廊下で接触しそうになった」という記録が何枚も見つかりました。情報はありました。しかし、データになっていなかったのです。
1.改善前の状況――報告書を書くことがゴールになっていた
ヒヤリハットが発生。職員が紙へ記入。管理者が確認。ファイルへ綴じる。月末に件数を報告。「今月18件でした」。これで終了していました。事故が起きたときだけ詳しく分析します。しかし事故になる前の18件は、ほとんど分析されません。つまり、事故予防のために集めた情報が、保存のための情報になっていたのです。
2.原因分析――「件数」しか見ていなかった
原因は四つありました。原因①発生場所を集計していませんでした。食堂、廊下、トイレ、送迎車、玄関。記録には書いてありますが集計していません。原因②時間帯を見ていませんでした。朝、昼食前後、活動中、帰宅準備。時間帯の偏りが分かりません。
原因③行動直前の状況を分析していませんでした。立ち上がり、移乗、食事、歩行、待機、送迎乗降。何をしているときに起きたかを見ていません。原因④報告者へフィードバックしていませんでした。職員は一生懸命書きます。しかしその後どう改善されたのか分かりません。次第に、「書いても何も変わらない」となります。
3.具体的な改善策①――ヒヤリハットを5項目だけデータ化する
最初から高度なAI分析は必要ありません。既存の安全なICT環境等を使い、発生日時、場所、場面、事象分類、対応を入力できるようにします。事象分類は、転倒・転落、誤薬、食事・嚥下、送迎、他利用者との接触、離設、物品、その他など、事業所に合わせて設定します。自由記述だけにしないことがポイントです。
4.具体的な改善策②――月1回「多い順」に並べる
例えば3か月で60件。転倒関連22件、送迎関連12件、食事関連9件、その他17件。さらに転倒22件を場所別に見ると、廊下12件、トイレ5件、活動室3件、その他2件。時間帯を見ると、廊下12件のうち9件が14時30分から15時30分。
ここまで来ると、「職員が注意しましょう」ではなく、帰宅準備時間帯の廊下に構造的な問題があると考えられます。
5.具体的な改善策③――「誰が起こしたか」より「どこで起きるか」を見る
安全管理が個人責任になると、報告が減ります。「○○職員が見ていなかった」だけで終わらせません。なぜその時間に人が集中したのか、車椅子と歩行者の動線は重なっていないか、荷物が廊下へ出ていないか、帰宅準備を一斉にしていないか、職員配置は適切かと、仕組みを見ます。事故を起こした職員探しではなく、事故が起きやすい環境探しです。
※故意や重大なルール違反など、個別の対応が必要なケースは別に扱います。
6.具体的な改善策④――上位1テーマだけ毎月改善する
60件すべてを改善しようとすると続きません。そこで毎月、「最も頻度が高く、重大事故につながる可能性があるテーマ」を一つ選びます。モデル事例では帰宅前の廊下転倒リスクを選びました。対策として、帰宅準備時間をずらす、荷物置場を変更する、車椅子待機位置を変更する、歩行介助が必要な利用者の移動順を見直す、職員配置を15分だけ変更するなどを実施しました。
7.具体的な改善策⑤――改善前後の件数を見る
対策を実施したら、「やりました」で終わりません。翌月、同じ場所、同じ時間、同じ事象が減ったか確認します。例えば廊下関連ヒヤリハットが、月8件から3件へ減れば、一定の効果が考えられます。逆に変わらなければ、別の原因を考えます。
これがICT化の本当の意味です。紙を電子化したことではありません。改善した結果まで追えるようにしたことです。
8.具体的な改善策⑥――安全性を「受入可能性」へつなげる
ある事業所では、「転倒リスクの高い人は受け入れが難しい」と考えていました。もちろん本人の状態や人員配置等から、受け入れ困難なケースはあります。しかし安全対策が進み、移動動線、見守り体制、環境整備、職員の対応方法が整理されると、以前なら漠然と、「ちょっと難しい」と判断していた相談についても、何が整えば受け入れられるかを具体的に検討できるようになります。
安全管理は利用制限のためだけに行うものではありません。適切な支援条件を明確にし、受入能力を高めるためにも使えます。
9.改善結果――ヒヤリハット報告は減らなかった
興味深いことに、改善後もヒヤリハット報告件数そのものは大きく減りませんでした。むしろ職員が、「書けば改善につながる」と感じ、報告文化は維持されました。一方で、同一原因による繰り返し事象が減りました。重大事故につながり得る環境要因を早く発見できるようになり、職員も安全対策を説明しやすくなりました。
10.売上への効果――安全性は「守り」だけではない
安全管理そのものを直接売上換算するのは適切ではありません。しかし経営への影響はあります。事故による利用休止、職員の付き添い、家族対応、報告書作成、行政対応、保険対応、職員心理負担。これらはすべて経営資源を使います。さらに、安全な受入体制が整った結果、これまで支援体制上難しいと考えていた新規利用者1名を週2日受け入れられたと仮定します。
1利用日当たり12,000円とすると、1名×週2日×4週×12,000円で月額96,000円、年間単純換算では約115万円です。重要なのは、「安全性を緩めたから利用者を増やせた」のではなく、安全性を高めたことで受入可能性が広がったという点です。
※上記はモデル事例としての想定です。1利用日当たり12,000円は説明用の仮の金額で、実際の報酬・加算は障害支援区分や利用定員、地域、算定する加算などによって異なります。受け入れの可否は、本人の状態と、人員配置基準・安全な支援体制を満たすかどうかで個別に判断してください。報酬・基準の要件は最新の告示と所管の行政窓口で必ず確認してください。施設の状況によって結果は異なり、同様の成果を保証するものではありません。
11.家族説明にも使えるようになった
新規見学時、家族から、「転倒が心配です」と言われたとします。以前なら、「職員が注意して見ています」と答えるしかありませんでした。改善後は、「当事業所では転倒関連のヒヤリハットを場所・時間帯別に確認し、動線や職員配置を見直しています」と説明できます。
安全対策を感覚ではなく、仕組みとして説明できるようになります。これは施設への信頼にもつながります。
12.コンサルタントの視点――ヒヤリハットは無料の経営データである
施設では毎日、転びそうになった、間違えそうになった、ぶつかりそうになった、忘れそうになった、という情報が生まれています。これは現場から自然に発生する非常に価値のあるデータです。しかし書類棚へしまえば価値はほぼゼロです。場所、時間、行動、原因、結果を少し整理するだけで、「次にどこで事故が起こりそうか」を考える材料になります。
13.今回のテーマに特化した実践アドバイス
過去3か月分のヒヤリハットを机へ出してください。まず高度な分析はしません。一枚ずつ、場所、時間、事象の三つだけ付箋等で分類します。そして最も多い組み合わせを一つ探します。例えば、「15時台×玄関×転倒」が多ければ、そこだけを現場で観察します。事故報告書を読む前に、事故が起きる場所を見に行く。これが第一歩です。
ICT・安全管理チェックリスト
- ヒヤリハット件数を把握している。
- 発生場所を分類している。
- 発生時間を分類している。
- 事象別に分類している。
- 同一事象の繰り返しを把握している。
- 自由記述だけの記録になっていない。
- 個人情報へのアクセス権限を設定している。
- 職員個人を責める分析になっていない。
- 月1回傾向を確認している。
- 優先改善テーマを一つ決めている。
- 対策後の件数を確認している。
- 職員へ分析結果を返している。
- 家族へ安全対策を説明できる。
- 安全性と受入条件を一緒に検討している。
- ICT導入そのものを目的にしていない。
14.まとめ――「18件ありました」の次に何をするか
ヒヤリハット18件、先月20件、2件減りました。この数字だけでは、安全になったかどうかは分かりません。重要なのは、どこで、いつ、何をしているときに、繰り返しているかです。障害福祉施設のICT化は、タブレットを入れることでも、紙をなくすことでもありません。
現場で起きていることを、次の判断に使える情報へ変えることです。ヒヤリハットも同じです。報告書ではなく、改善材料として使う。改善したら結果を見る。職員へ返す。さらに改善する。この循環ができれば、事故予防、職員負担軽減、家族の安心、サービス品質、受入能力が一つにつながっていきます。
安全管理は、事故を起こさないためだけの「守りの仕事」ではありません。安全に支援できる範囲を広げることで、より多くの利用者を受け入れられる施設をつくる。そこまで考えると、安全管理は障害福祉経営における重要な「成長戦略」の一つになります。
ヒヤリ・ハットの分析の考え方は 同じヒヤリ・ハットが繰り返される、記録のICT化は 記録システムを入れたのに残業が減らない、防災・緊急時の備えは 大雨警報が出たのに「誰から帰すか」を決めていなかった、同じ原稿のもう一つの事例は その会議、本当に60分必要ですか? もあわせてご覧ください。
安全管理や受け入れ体制のご相談は サービス内容をご覧のうえ、お気軽にお問い合わせください。初回相談は無料で承っております。